「Time短縮」か「誤答ゼロ」か?
100マス計算は1970年代半ば、神戸の小学校の教師であった岸本裕史先生が生徒を教えている中でこの仕組みを思いつきました。
これが子供たちの計算練習にとって非常に効果があるということが分かり、全国の教師たちに急速に広がっていきました。
この取り組みをすると明らかに子供たちは理解しやすくなり、賢くなる。子供たちが落ち着く。子供たちがしっとりする(私が直接聞いた岸本先生自身の言葉)。クラスの子供たち同士仲良くなる。自信が高まり何かすがすがしい気持ちになるからでしょうが、自分から進んで掃除などをするように変わる。こうした言葉が実践した教師たちの中から次々に聞こえるようになりました。このことが教育実践の研究会でたくさん報告されました。すると「それはいいすぎではないか」「自画自賛に過ぎない」「百マスはただの訓練主義だ。理解力や論理性が育つはずがない」などの批判が、実践しない先生方からたくさんなされました。確かに100マス計算を称える私たちの感想的な表現、文学的な表現はあくまでも自分たちの体験から出た「印象」であって、客観的Dataには基づかないものでしたから批判されても証拠を上げて説明したり、反論することはできません。この批判には黙って引き下がる他なかったのです。
しかしその後いろいろなDataが明らかになってきました。一つ一つこれから皆さんに紹介したいと思います。
考えるに、計算のスピードを図り、タイムを記録してその進捗を図るという作業はこれまでの教育学にはなかったことです。「計算は速くなくていい。できさえすればいいのだから」という考え方でした。ですから計算の速さを測って変化を見るということはとんでもないやり方で、従来の教育学にとっては逆思考、ある意味で「そんな事をしてもいいのか」といわれかねない方法だったのです。
事実私は言われました。「生徒に計算をさせてタイムを計る?なんじゃそりゃ」と。
しかし私はこれは教育学の新しい大きな領域の開拓ではないかと考えます。決して論理的認識の面からだけではなく、自信の芽生え、自己卑下からの回復、友情ややさしさなど、精神的側面から、人格の面からもっと広い人々に研究されてしかるべきではないかと私は考えています。
ただ一点、触れておきますと、早くできることが大事か、誤答を無くすことが大事かということがよく聞かれます。
申し上げたいことは間違いなく何よりも大事なことは誤答を無くすことだということです。あくまでも「誤答ゼロ」、これを徹頭徹尾追及しなければなりません。
その中から自然に進むタイム短縮を求めていくのです。なぜなら誤答がひとつでもある限り土台に誤りが潜んだ状態になるわけです。誤答を抱えたままではその上により大きなものは積み上げられないことは明らかです。
だからといって✕があるから責める必要はありません。先ず取り組んだこと自体を誉め、認めることです。そのうえで本人が落ち込んでいる事実を見るべきです。
「まだまだやなあ」など、うちしおれている彼らの上にかぶせるような批判的言葉は必要ありません。
もしアドバイスをするなら、「どこで間違えたか、どんな間違い方をしたか調べるといいよ。例えば前回も同じ所を間違えていないかなど」と。
一方タイム短縮は継続し続ける限り、どの生徒も必ず自然に実現していきます。ですから皆さん、絶対に「誤答ゼロ」を何よりも優先させて子供たちを励まし続けて下さい。
これは「100マス計算のタイム短縮」の記事に書いた、「同じ所で間違い続けていないか」などで述べたやり方を参考にしてください。➡リンク
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